こんにちは、あのにますです。
阪神タイガースからポスティングによるメジャーリーグ(以下、MLB)挑戦を宣言していた藤浪晋太郎選手が、先日オークランド・アスレティックスと契約したとのニュースが飛び込んできました。
そこで今回は、藤浪選手の加入で日本での注目度が上がることが予想される『オークランド・アスレティックス』が一体どんなチームなのかについてお伝えしたいと思います。
オークランド・アスレティックスとは?
オークランド・アスレティックス(以下、OAK)とは、MLBアメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チームです。
ファンからの略称はA`sで、球団ロゴにもA`sと記載されています。
オークランド・アスレティックスの歴史
1901年のアメリカンリーグ創設時より加盟している歴史ある球団の1つで、過去ワールドシリーズ制覇9回、リーグ優勝15回を誇る古豪球団です。
かつては優勝争いの常連でしたが、1990年代以降は球団の財政状況が悪化、選手獲得に資金を費やせず徐々に低迷していきます。
しかし、2000年代にビリー・ビーンがGMに就任すると、それまでMLBで重要視されていなかったセイバーメトリクスを導入したドラフト戦略と育成方針を実施し、再びプレーオフ争いの常連に返り咲きます。
当時のビーンGMの改革とチームの躍進を描いた書籍『マネーボール』は全米ベストセラーとなり、後にブラット・ピット主演で映画化もされました。
ただ、この躍進により全球団がセイバーメトリクスの重要性に気づいたことで徐々に優位性が失われ、2010年代以降は00年代ほどの成績を上げることが出来なくなりました。
また球団の財政状況も一向に改善されないことから、主力に成長した選手をトレードで放出し、見返りに将来有望な若手選手を多く獲得する『ファイヤーセール』が定期的に行われ、成績が乱高下するシーズンが続いています。
過去の有名選手
ここからは過去OAKに所属していた有名選手を数名ピックアップしていきます。
1.ジェイソン・ジアンビ
1992年のMLBドラフト2巡目(全体58位)でOAKに入団。
1995年にメジャーデビューを果たし、1996年~2001年まで6年連続20HR以上を放った球界屈指のスラッガーです。
特に1999年~2001年は3年連続3割・30HR・100打点を記録し、2000年にはアメリカンリーグMVPに選ばれるなど活躍し、2000年の地区優勝、2001年のワイルドカードに大きく貢献しました。
しかし2001年オフにフリーエージェント(以下、FA)権を公使。財政に余裕のないOAKは引き止めることが出来ず、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍しました。
2.バリー・ジト
1999年のMLBドラフト1巡目(全体9位)でOAKに入団。
2000年にメジャーデビューを果たし、2001年~2006年まで6年連続34先発以上&2桁勝利を記録した球界屈指の先発投手です。
特に2002年はリーグ最多の23勝を挙げ、アメリカンリーグのサイ・ヤング賞に選ばれるなど活躍し、4度のプレーオフ進出に大きく貢献しました。
しかし2006年オフにジアンビと同じくFA権を公使し、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍しました。
3.ミゲル・テハダ
1993年にドラフト外でOAKに入団。
1997年にメジャーデビューを果たし、1999年~2003年まで5年連続20HRを放ち、チームの主力野手として活躍しました。
特に2000年~2002年は3年連続30HR&100打点を記録し、2002年にはアメリカンリーグMVPに選ばれるなど活躍し、4度のプレーオフ進出に大きく貢献しました。
しかしテハダもこれまでの例に漏れず、2003年オフにFA権を公使し、ボルティモア・オリオールズに移籍しました。
オークランド・アスレティックスに所属した日本人選手
オークランド・アスレティックスには過去4人の日本人選手が所属しました。
1.藪恵壹
2005年オフに海外FA権を公使し2年契約(2年目は球団オプション)でOAKに移籍。
中継ぎで40試合に登板するも、球団がオプションを公使しなかったことで、1年での退団となりました。
2.岩村明憲
2010年9月6日、所属していたピッツバーグ・パイレーツから解雇された後、9月13日にOAKに移籍。
移籍後10試合に出場するも、成績は打率.129・出塁率.250に留まり、10月4日に解雇されました。
3.松井秀喜
2010年オフ、FAで1年契約を結びOAKに移籍。年俸は425万ドル。
141試合に出場しチーム2位の72打点を記録するも、OPS.698は100試合以上出場したシーズンで自身プロ入り後ワーストとなるなど成績は低迷。
球団から契約延長のオファーはなく、同年限りで退団、FAとなりました。
4.岡島秀樹
2013年2月にマイナー契約でOAKに移籍。
5月にメジャー昇格は果たせたものの、シーズン通してメジャーとマイナーを往復する状況が続き、シーズン登板数は5試合のみ。9月に戦力外通告を受けました。
※番外:中島宏之
2012年オフに海外FA権を公使し2年650万ドル+出来高(3年目は球団オプション)でOAKに移籍。
2013年はオープン戦で負傷しマイナースタート。その後もMLB昇格の声はかからないままシーズンを終えます。
2014年もスプリングトレーニングではMLB組に合流するも、開幕前にマイナー落ちとなりシーズン中の昇格はなく、10月にFAとなりました。
2年間の在籍中、一度もMLBでプレーしなかったため、番外枠としています。
現在のオークランド・アスレティックス
2022年終了時点でのオークランド・アスレティックスは、いわゆる『再建チーム』に分類されています。
2021年オフにファイヤーセールを断行しており、2022年を経験の浅い若手選手と高年齢のベテラン選手が中心のチーム構成で戦ったことで、地区最下位となりました。
この傾向は2023年も続く見込みで、球団は数年後のプレーオフ出場を目指してチーム作りをしています。
しかしながら、かねてから出ている新球場建設の計画に進展がなく、ラズベガスへの移転も一部で囁かれるなど、球団の行く末が決まらない状況が続いていることもあり、再建が順調に進むかどうかが不透明になっています。
まとめ
藤浪選手の移籍で日本での注目度も上昇しているOAK。
歴史ある球団ではある一方、新球場建設計画の遅れや移転騒ぎなど、球団を取り巻く環境は決して良いとはいえず、かつチームも再建中で優勝はおろかプレーオフも望み薄とあって、応援するファンの人達もやきもきする状況が続いています。
果たしてOAKは再び復活できるのか。
藤浪選手の動向を追いかけつつ、OAKの未来が明くなることを祈って、本記事を締めさせていただきます。
それでは。